インフォメーション

2024-02-26 06:30:00
京都 世界遺産 元離宮二条城

二条城は1603年、初代将軍徳川家康が、天皇が住む京都御所の守護と
将軍上洛の際の宿泊所とするため築城。また、1867年、15代将軍慶喜が
二の丸御殿で「大政奉還
の意思表明した場所でもあります。
徳川家の栄枯盛衰と日本の歴史の移り変わりを見守ってきたお城です。


IMG_3843.JPG
東南隅櫓
天守閣は現在ないので、この隅櫓やお堀が一番城らしさを感じさせます。
右側に東大手門が見えます。東西線地下鉄二条城前駅より歩い2,3分程。
たまたまですが、逆さ櫓です(笑)



IMG_3845.JPG
東大手門
二条城の正門で、観光客の入場用の門、堀川通りに面しています。

IMG_3847.JPG

勇壮かつ重厚、そして、金細工が綺麗です。

 

IMG_3852.JPG
唐門  桃山時代 1625~1626
切妻造り(きりづまづくり)、檜皮葺き(ひわだぶき)の四脚門で、
唐破風(からはふ)をのせた二の丸御殿唐門。唐破風がのることが唐門
という名の由来。

IMG_3854.JPG
細工、そして、彫刻が凄い
蝶、松竹梅に鶴、亀、竜虎、そして、見えないけど唐獅子等あり。

 

二条城見取り図.jpg
二条城見取り図
見学時間は大雑把に回れば1時間、じっくりなら2時間程です。
私は4時頃に入場したので、閉門時間の5時に間に合うよう、一時間程で
見学を終えました。



IMG_3859.JPG
二の丸御殿



IMG_3855.JPG
二の丸御殿 入口

二の丸御殿間取り図.jpg
二の丸御殿 見取り図
東南から北西にかけて、遠侍、式台、大広間、蘇鉄の間、黒書院、白書院の
棟が立ち並ぶ。部屋数33室、800畳程あり。廊下は人が歩くと、音がして
”鶯張りの廊下”と呼ばれています。また、3600面の障壁画が残されている。



二条 大広間.jpg
大広間 大政奉還が表明された 一の間48畳、二の間44畳
大きく、生い茂る松の障壁画。そして、睨みを利かす、鷹と鷲。
二の丸御殿の中でも「松鷹図」は最も有名。狩野派の若き棟梁・狩野探幽
が一門を挙げて制作したものです。


二条城 鷹2.jpg
大広間
 四の間 鷹




二条 鷹.jpg
大広間
 四の間  鷲

家康の”鷹狩り””好きは有名。自ら鷹を操り、70過ぎても年に50回程
出かけていた。健康の為、軍事訓練、庶民の暮らしぶりの視察を兼ねていた。
野戦に強かった要因は、家臣団の組織力や結束力にあるが、やはり、普段より
常に戦を意識して準備をし、機動力等を”鷹狩り”で、養ってきたと思われる。
その”鷹狩り”をした場所をイメージしたのが、この大広間なのかも(推)

 

IMG_3865.JPG
二の丸庭園
二の丸
御殿の大広間、黒書院、行幸御殿の3方向から鑑賞できるよう工夫
されている。

そして、東橋を渡り、天守閣跡に向かう。

IMG_3886.JPG
天守閣
跡より、本丸御殿を臨む

 


IMG_3883.JPG
天守閣跡 
かっては伏見城から移された五重六階の天守閣があったが、1750年に
落雷により焼失。



IMG_3882.JPG
天守閣
跡 より 内堀と京都市街を臨む

 

IMG_3889.JPG
西
橋 より 内堀と天守閣跡を臨む

IMG_3894.JPG
天守閣の対岸の梅林より
咲き始めの梅の花を、少しだけ見ることができました。

昨年は江戸城跡・皇居の周りのウォーキング、そして、静岡駿府城、浅間神社と
めぐり、さらに年明けには、二条城と徳川家康ゆかりの地を散策。
3月末頃の桜の時期に再度、皇居周りの”花見ウォーキング”を実施予定です。
当然ながら”一杯”飲ってきます(笑)何、食べようか迷うよね、江戸は(笑)

さて、次回は、京都・食べ歩き編 です。お楽しみに!